京都時代

 東南アジアの旅から帰って京都に住みました。期間は1979年から81年までの3年間。
最初の1年は、大学時代に取得してなかった(教職の)単位を取る為、仏教大学の聴講生となりました。26歳でした。岡山県と神奈川県の教員採用試験を受けたのですが、不合格に。

 磔磔(京都の老舗ライブハウス)の水島君やブレイクダウンの皆と夜な夜な飲み歩く毎晩でしたので合格するわけがありません。ザックバラン(熊野神社)やカウカウ(田中)やちしゃのは(田中)や最後は高野のホリデーイン (今あるか?)で飲んでました。ブレイクダウンの(今は亡き)小川さんなんて、週の内2日は我が家に泊まっていた時期もありました。本当に、今思えば楽しい毎日でした。喚いたり、暴れたり、殴り合いしたり、笑ったり、泣いたりの日々でした。ハッちゃん(ブレイクダウンのバンマス)は、今は一人で頑張ってます。年に一二度関西でライブする時には母ちゃんと今でも聴きに行ってます。房之助(近藤房之助)は今やスターミュージシャン。やはり年に一度磔磔に来た時に聴きに行ってます。相棒だった磔磔の水島君は、大病をしたとは思えぬ回復力で今でもライブハウス磔磔でまるで空気のように佇んでいます。

 そしてこの僕は、京都時代からの相方の幸子さんと巷談舎を始めて今秋でまる20年。まだまだ途上の身。この仕事は奥が深く、日々感動と学びです。

 八月になるといつも想いだします。暑かった京都のアパート。扇風機一つの生活。