世田谷の日本学園、そして白川先生
都立高校で一年生を二回(留年)やり、そのあと拾ってもらったのが
この高校でした。僕は当時、神奈川県相模原市に自宅がありましたので
小田急線で下北沢まで行き、井の頭線の明大前で降り、日本学園へ通学
していました。当時は、全国から色々な問題児を受け入れるリベラルな
高校でした。僕が編入した年も、たくさんの転校生がおりました。成蹊高・
先生たちは、東大卒(帝大)の風間先生や白川先生など山の手のリベラルな
雰囲気で、最初入学した下町の都立高校とは、違っていました。
当時は語学は第二外国語もあり、ドイツ語でした。2年間在籍し卒業させて頂きました。
風間道太郎先生の世界史の授業は、大学に入学してから本当に役にたちました。
白川嘉道先生とはここ10年ぐらい、年に何度か先生に電話して話す関係でした。
昨年のバレンタインの時、うちの母ちゃんが先生にチョコレートを贈ったとき、
珍しく先生から母ちゃんに電話があり「生まれて初めていただきました」。80歳
をとうに越した先生の嬉しそうな姿を想像すれだけで、僕は粋な計らいをしてくれた
母ちゃんに感謝でした。そんな白川先生の妹様から1月の終りに葉書きが届きました。
先生は、昨年亡くなられたとの文面。風間先生が亡くなり、白川先生が亡くなり、僕
と母校との関係が途絶えてしまった感じです。
東京を離れたのが1973年です。それにしても母校「日本学園」は僕にとって本当
にお世話になった、そしていい出会いが出来た青春の思い出の母校です。
そうそう、75年教育実習でもお世話になりました。