1976年、野坂氏の講演会を依頼する。前日の晩、体調不良を
理由にキャンセルの電話。当日は、代理として華房良輔(野坂氏
の高校時代の親友で11PMの脚本なども手掛けた在阪の作家)氏
を充て、何とか無事に講演会を終わらせる。
このことで味を占め、コミさんこと田中小実昌氏、一度不渡りを
食らった野坂昭如氏などの講演会を我が大学の構内から、京都の
ライブハウス磔磔に移してする。イベント屋当時名乗っていた
名前が巷談舎。そんなわけで野坂昭如さんにはいろいろお世話に
なりました。コミさんが亡くなり、華房さんが亡くなり、野坂さん
が亡くなり、寂しい限りです。